Promise

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  エピローグ*新しい約束  

 フェリカとケイゼスが帝都を発つ朝が来た。ロウェイスと比べてからっとしてほんの少し冷たい空気に包まれた街は、相変わらず静かで人通りは少ないけれど、少し前までのぴりぴりとした感じが僅かながら和らいでいるような気がした。
 「本当に、お送りしなくてよいのですか?決してお二人にとって、この国は安全というわけではないでしょう?」
 ティゼルは城門の手前で困惑した表情を浮かべながら、旅姿の二人へそう問うた。もう何回繰り返したかわからない、昨晩まで幾度となく重ねた会話だった。ケイゼスは以前と変わらぬ気安さを崩さないまま、ひらひらと手を振ると、
 「心配すんな、何度も言ったけど大丈夫だって。俺はもちろんだけどそこの脳筋王女も自分の身くらい自分で充分過ぎるくらい守れるのはお前だってよく知ってるだろ?ティゼルに何かあったらそのほうが問題だし、そもそもお前はもうそんなほいほいと己の市場だけで城を空けていい身じゃないんだから、そこのところちゃんと自覚しとけよ、皇帝陛下?」
 さり気なさを装って挟まれた暴言に反応して、脳筋王女って何よケイゼスのくせにとぶうたれるフェリカの声をケイゼスは飄々と聞き流す。
 その様に少しだけ淋しそうにティゼルは苦笑する。彼の目の前にあるのは、物心ついたときからほんの少し前までずっと傍にあった何気ない日常の最後の時間だった。
 そんな大切な日々を突然奪った運命を恨まないわけではない。それでも彼は、それを受け容れ、前へ進むと決めた。フェリカやケイゼスに恥じるような生き方だけは決してしたくなかった。ティゼルは神妙な面持ちで、ケイゼスへと向き直る。
 「ケイ。どうか、姫様のことをお願いします。姫様はケイもよく知っているようにあの通りの方だから、誰かがちゃんと見ていてあげないとすぐ無茶なことをするし、姫様は色々な意味でとても強いけれど、同時に脆い部分もある人だから誰かがちゃんと傍で支えていてあげていて欲しい。それができるのは、ケイだけなんだ」
 「あーもう、そんなこと、言わなくてもわかってるって」ケイゼスは喚くフェリカを手で押し留めながら、きっと彼自身のことも一切合切よく承知しているであろう真摯な黒瞳に少しばつの悪さを覚えながら、拗ねたように口を尖らせる。「全く、口を開けば姫様姫様ってお前もいい加減フェリカのこと偏愛しすぎだろ。まったく、ずっとフェリカの傍にいて、フェリカのことを見てきたのはお前だけじゃないんだからな」
 そう言って、ケイゼスはティゼルの猫っ毛気味な漆黒の髪を無造作にぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。知ってるよ、とティゼルは少しくすぐったそうな顔で柔らかく笑う。少し離れた場所でやり取りを見守っていたヨフィンが少し慌てたような顔をした。こんなやり取りももうきっと最後だな、と大切な弟同然の少年とじゃれ合いながらケイゼスは感慨深さと一抹の寂しさを覚えつつ、
 「ティゼル、フェリカのことは俺に任せておけ。フェリカは俺の一生を賭けて必ず護るし、幸せにしてみせる」
 ケイゼスは何事かティゼルへと耳打ちする。ティゼルはそっか、と小さく頷いた。このとき、ケイゼスが口にした言葉が何だったのかはこの二人以外の誰かが知ることはなかった。
 「ちょっと、何わたしだけのけものにして、二人で内緒話してるのよ」
 わたしも混ぜなさいよ、とぶんむくれたフェリカが二人の間に割って入る。フェリカはティゼルの首に腕を回すと、強く抱きしめた。ティゼルが困惑したように、
 「姫様……?」
 「何かあったら、いつでもこのわたしを頼りなさい。セレイドの新皇帝の生涯の友として、できる限りの手助けはするわ」
 「ありがとう、ございます」
 ティゼルは視界が滲むのを感じた。
 「もう、ティゼルったら、本っ当に昔から泣き虫だけは治らないんだから」そう言ったフェリカの目は潤んでいた。鈴のようなその声が震えている。「落ち着いたら、いつでもロウェイスへ遊びに来てちょうだい。わたしやケイだけじゃない、きっとロナもあなたに会いたがるわ。だから、ね?」
 「ええ、きっと」
 ねえ、だから、どうか――その先に続く言葉は想いと一緒に痛いくらい、いくらでも溢れてくるのに、涙でかき消され、紡がれることはなかった。過ごしてきた時間の分だけ、重ねてきた思い出の分だけ、伝えたいことは数え切れないくらいあったのに、どうしても言葉にできなかった。フェリカの白磁器の頬に涙が伝う。彼女が思わず顔を埋めたその肩は、職業柄、ケイゼスと比べれば線の細い感じはあるものの、記憶にあるよりはずっと逞しく、しっかりとしていた。もう守ってあげないといけないか弱い弟のような少年ではないのだと、改めて実感し、ティゼルが随分遠い存在になってしまったように感じた。どうしようもない運命の渦が憎かった。
 ティゼルは困ったように眉尻を下げ、泣き笑いのような顔で少し持て余し気味に、脆く大切なものを扱うように優しくその背を撫でてやりながら、
 「姫様、ごめんなさい。約束、守れなくなっちゃいましたね」約束、と彼の肩に顔を埋めたままくぐもった湿り気を帯びた声で聞き返す彼女に、彼はええ、と頷き、「約束、です。姫様は覚えていらっしゃらないかもしれないですけど、私たち三人はずっと昔、まだ小さな子供だったころに、何があってもずっと一緒にいるという約束を交わしました。まだ、ノウェイン様が即位されて間もないころのことです。しかし……」
 きまりが悪そうにティゼルが言葉を濁すと、ケイゼスが手のかかる妹分と弟分の頭を宥めるように両手で雑に掻き回しながら、
 「なら、新しい約束をしよう」
 「新しい、約束?」
 フェリカとティゼルが異口同音に聞き返す。ケイゼスはああ、と頷くと、
 「そりゃ、もう俺たちは一緒にはいられなくなるかもしれない。これまで通りに過ごしていくことは叶わなくなるかもしれない。でも、距離が離れたからって、俺たちは心まで離れるわけじゃないだろう?だから、俺たちはロウェイスとセレイドの両国のため、それぞれにできることをお互いに恥じることがないようにしっかりとやっていこう。目指している場所が同じ限り、俺たちはきっと心まで離れ離れになることはないはずだから」
 「ケイらしいね」
 「まったくもう、格好つけちゃって」
 うっせ、とケイゼスは照れたように言い返す。そして、彼はだから、と口を開く。
 「だから――俺たちはずっと一緒だ。この先、何があっても、ずっと」
 それは、この先の三人の未来を祈る言葉だった。
 この先の未来がどうなっていくのかなんてわからないけれど、旅立ちの空は高く清らかに澄んでいて、新しい門出を祝福していた。
Fin.
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