Promise

モドル | モクジ

  後日談*あの日夢見たその先に  

 朝から妙に城内がばたついていた。従姉弟たちと過ごす子供部屋の外をばたばたと人が行き交う音を聞きながら、みんないそがしそう、とミュリナは年齢相応の感想を抱いた。一体今日は何の日なのだろうと、彼女が首を傾げていると、いくつか年上の従姉姫であるメレーネが答えを教えてくれる。
 「ミュリナ、今日はセレイド帝国からお客様がいらっしゃるのよ。今朝、ロナがそう言っていたわ」
 ミュリナはぱちくりと瞬きした。確か、セレイドの皇帝と自分の父母は親しいのではなかっただろうか。彼女は幼い頭をフル回転させて、極めて断片的な情報を探して当てる。
 「メレーネお姉様、セレイド帝国の皇帝陛下って今日は何しにいらっしゃるの?お母様とお父様とティータイムしにくるの?」
 今日はシャルロットが食べたいなどと呑気なことを宣いながら父親譲りのペリドットの双眸を煌めかせる年下の従妹姫に対し、これだから子供は、とメレーネは肩を竦める。しかし、かくいう彼女自身もまだ八歳という充分すぎるくらいに子供の範疇に含まれる年齢であることは完全に棚上げである。
 「あのね、ミュリナ。皇帝陛下はセレイドとロウェイスの両国の親善のためにいらっしゃるのであって、決してティータイムを楽しみにいらっしゃるわけではないのよ。両国の対立の歴史に終止符を打ち、互いの結びつきを強固なものにするために、フェリカ様とケイゼス様――ミュリナのお母様やお父様も尽力していらっしゃるのよ」
 「うーん……でも、皇帝陛下とお母様とお父様は幼馴染なんだから、ずっと昔の子供のころから仲良しなんでしょう?じゃあ親善って何するの?やっぱりお喋りしながらお菓子食べるんじゃないの?だって仲良しなんだもの」
 きちんと相応の教育を受けているとはいえ、五歳児にはまだ外交の概念を理解するのは難しいのか、そう言って小首を傾げるミュリナは無垢な天使のようでとても愛らしかった。メレーネは、子供らしからぬ溜め息を吐くと、母親譲りの艶やかな黒髪に包まれた小さな頭を抱える。
 「あれ、どしたの、ねーちゃん」
 かちゃりと子供部屋の窓が外側から開けられ、木の枝を器用に伝って利発そうな顔立ちの幼い少年が中へ入ってくる。メレーネは努めて厳格な口調で、
 「ルウェン。お姉様とお呼びなさいといつも言っているでしょう。それに窓から入ってくるなど言語道断です。まだ幼いとはいえ、もっとこの国の王太子としての自覚を持ち、それに相応しいだけの立ち居振る舞いをするべきだと思うわ」
 「えー……ねーちゃんが固すぎなんだって」
 模範的な王女である姉姫に訥々と諭されるもどこ吹く風でルウェンはぶうたれる。メレーネとルウェンは母親が同じ、似通った容姿の姉弟だが、性格は真逆である。メレーネは母親のレノーラに似て、楚々として理知的な姫君の理想形を体現したような性格であるのに対して、ルウェンは両親というよりも父方の叔母に似ている気がするし、素行と口の悪さに関しては明らかに叔父で近衛騎士団長のケイゼスの影響を多大に受けているに違いない。
 「ねえ、メレーネお姉様、ルウェンお兄様、その子、誰?」
 ルウェンが開け放ったままにしていた窓の向こうで、黒髪の気弱そうな幼い少年が木の枝に縋り付いて、今にも泣き出しそうな顔でがたがた震えていた。
 「あ、いけね」ルウェンは少年に手を貸してやりながら、室内へと引きずりこむ。「何かこいつ、迷子みたいだったから、とりあえず連れてきた」
 「迷子?」メレーネは柳眉を顰める。「この子、お城に住んでいる子じゃなさそうね。見たことのない子ですもの」
 「じゃあ、この子どこから来たの?」
 「あの、ぼく……」
 おずおずと少年が何か言いかけた瞬間、子供部屋の扉が開き、二十代の半ばをいくつか過ぎた三人の男女が入ってきた。瞳の色は違えど、ミュリナによく似た女は、室内を見回し、少年を視界に認めると、
 「あら、こんなところにいたのね。良かったわ、探していたの。ティゼル、ユイン殿下見つかったわよ」
 「お父様!」
 ユインと呼ばれた少年はセレイドの皇帝である黒髪黒瞳の優しげな青年へと駆け寄り、縋り付いた。ティゼルはユインの頭を撫でてやりながら、
 「ユイン。もうはぐれないように気をつけなさい。私も心配しますし、ロウェイスの皆様にもご迷惑でしょう。そして、メレーネ殿下、ルウェン殿下、ミュリナ殿下、ユインを見つけてくださってありがとうございました」
 幼い子供たちを相手に深々と頭を下げる隣国の皇帝の背をケイゼスが笑いながら、幼馴染の気安さでばしばしと叩く。
 「いいよ、気にすんなって。子供なんてそんなもんだし、うちの王家はメレーネ殿下以外はすぐ脱走して全然じっとしてやしないしな。ま、そんなことより、ユイン殿下も見つかったことだし、中庭でお茶にでもしようぜ。今日はティゼルが来るっていうんで、ロナさんがベリー系のお菓子いっぱい作って持ってきてくれてるんだ、懐かしいだろ?」
 「そうですね」ティゼルは頷く。「本当に懐かしいです。もうそういう季節なんですね」
 しみじみとそう言う義父を不思議そうな顔でユインが見上げている。十年前のベリーの季節にティゼルの運命は動き出したのだった。重ねた年月の間に、優しい手つきでユインの頭を撫でているティゼルの顔は、実の親子ではなく、実際には養父と養子となった母方の遠縁の子という関係性であるにも関わらず、すっかり父親としてのものになっていた。
 「ユインにもそろそろ、私がこの国で過ごした日々のことを話してあげてもいいかもしれないね。少し長い話になるけれど、聞いてくれるかな?」
 「もちろんです、お父様」
 目を輝かせて少年は大きく頷いた。フェリカは子供部屋の扉をかちゃりと開き、案内するように廊下を手で指し示しながら、
 「それじゃあ、その話はお茶を飲みながらにでもしましょうか。さあ、行きましょう」
 フェリカとケイゼスは娘であるミュリナと手を繋いでやる。ティゼルもユインと手を繋いでやっている。現国王夫妻の実子であるメレーネとルウェンの姉弟は、早く早くと急かす弟を姉が有無を言わさず腕を掴んで止めていた。
 あの日、願った未来はこうして、今ここにある。経た年月の中で変わっていったものも変わらないままのものもあったけれど、あの日交わした約束は確かにここで息づいていた。
 彼らは懐かしい日々とこの先の健やかな未来を想いながら、中庭へ向かって歩き出した。空から降り注ぐ陽光のような笑みが、それぞれから溢れ出していた。

Fin.
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